▼編集内容を一部ご紹介
日置家は、亀山(亀岡)の城を真正面に見ることができるこの地で、江戸幕府旗本津田藩の代官をつとめていました。また、日置流という弓道の祖と言われております。江戸時代に建てられた母屋の両脇は藪に挟まれ、門前の道は京の都に通ずる旧街道です。屋敷の周りの石垣土塀は、今も当時のままの姿で残っております。代々の当主が、現在まで大切にこの屋敷を守ってまいりましたが、広く皆さまにご覧いただきたいとの思いから、1994年(平成6年)より、京都の家庭料理をご提供する「へき亭」を開店いたしました。
江戸時代の息吹が確かに感じられる「へき亭」で、ひとときの時間旅行を楽しんでいただければ幸いです。 明治維新後、武家個人の所有であった屋敷は、建築の近代化などによって姿を消していきましたが、日置家は当時のままの面影を残しております。玄関から奥の座敷、襖や掛け軸、調度品まで、可能な限り、当時のままの姿でお客さまをお迎えしています。
日置家は敷地600坪、建坪300坪。当時の玄関は、入り口から庭を通り抜けた屋敷の中央にありました。玄関を上がった奥に客間が二間ありますが、この客間は家族といえども出入りはできませんでした。玄関と客間を使用できるのは当主と客人のみで、家族は勝手口の奥にある小さな部屋に住んでいました。また当時は家族が一同に集って、一家団欒を楽しむという概念もなく、現在の「居間」というものは存在しませんでした。
紙本墨画淡彩 縦169.4㎝ 横93.0㎝(四面) 縦169.4㎝ 横69.0㎝(四面) 江戸時代末期襖8枚に40羽余りの鶴を描く。大きく二群に分かれ、一群は芦辺にとまり、もう一群は上空から飛来する。 この絵が描かれている部屋は欄間に鶴の透かし彫り、釘隠しも鶴の形の金具と、「鶴尽し」になっており、これを設計した当主の鶴に対する愛着が伝わってくる。同家には他にも、同じく岸連山の「松に鶴図」衝立が遺されている。(『亀岡市史』資料編 発行 平成8年3月31日 第4巻 275頁より引用)
へき亭では、地元亀岡の採れたて野菜と食材を生かし、毎回違ったお料理をご提供しています。春夏秋冬、四季折々の旬の野菜は目にも鮮やかで、体にも優しい。五感に広がる自然な味わいに、亀岡の風土を改めて感じていただけることでしょう。
お客さまの笑顔を目にする度に「次はどんなものをお作りして喜んでいただこう」と毎回献立を考え、創作料理を作り続けてきました。1日数組限定のお客さまへ、心を込めたおもてなしをしています。
豪華絢爛な結婚式や、ホテルの晩餐、贅沢な仕立ての服装など、日置家に残る明治、大正時代の数多くの写真からは、華やかな交友と生活の様子が見て取れます。
いつもご愛顧いただき、ありがとうございます。
このたびへき亭は、2023年12月22日をもちまして、閉店することとなりました。
お店に足を運んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
へき亭で過ごされた時間を思い出のひとつに刻んでいただけたら幸いです。
長らくご愛顧賜りましたこと心より感謝申し上げます。
へき亭 おかみ 日置 道代
クリエイティブオフィス・ハーズ
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